彼女は、一人カウンターで熱燗を飲んでいた。  

湯気の立つ徳利をそっと傾けると、立ちのぼる酒気が目にしみた。  

店の奥では、古いラジオが小さく演歌を流し、外からは路面電車の走る音が、雪に吸い込まれるように響いてくる。


先月別れた彼は、冬になると決まって熱燗を好んだ。  

飲むたびに、日本酒の奥深さや熱燗の旨さを、 まるで語り聞かせるように話していた。


「旅をするなら、北の街がいい…」  

その言葉を胸のどこかで反芻しながら、彼女は海霧の匂いに包まれた函館へやって来た。  

駅前のイルミネーションも、赤レンガ倉庫の灯りも、 どこか彼の残した言葉の続きのように見えた。


気づけば、これで二本目の徳利だった。  

唇を近づけると、熱い酒気がじんわりと沁み、  こらえきれず、ひと粒の涙が頬を伝い落ちた。


窓の外では、港から吹く風に乗って、  細かな雪が静かに舞い続けている。  

その白さは、彼女の涙よりも静かで、街全体がそっと息をひそめているようだった。


あとがき…

冬の函館には、静けさの中に不思議な温度があります。

海からの風は冷たく、雪は音を奪うのに、どこか胸の奥だけはじんわりと温かくなる瞬間がある。

この物語の彼女が飲んでいた熱燗は、ただの酒ではなく、別れの痛みと、旅の理由と、そして少しだけ前に進むための灯りのようなものだったのかもしれません。

函館という街は、過去を抱えたまま歩いても、そっと受け止めてくれる懐の深さがあります。

雪の夜に漂う静けさが、誰かの涙を責めることなく、ただ寄り添ってくれる。

そんな冬の函館の空気を、この短い物語の中に少しでも閉じ込められていたら嬉しいです。