「電話くれてありがとう。初めてだね…嬉しかった、とても」


一年前に別れた彼が、初めて電話をくれた。

「やぁー、元気?」

それだけの、短い一言。  

受話器の向こうで、少しだけ海風の音が混じった気がした。


付き合っていた頃、彼はけっして電話をくれなかった。

《俺、電話って嫌いなんだ》

そう言っては、《明日、いい?》と、  必要なことだけを短いメールで送ってきた。


「そういえば、誕生日だったね。おめでとう」

その声は、どこか大人びて聞こえた。  

港の方から聞こえる霧笛のように、少し低く、静かに。


大人になった、あなた。  

まだ少女のままの、私。  

変わらないのは、私だけだね。


「ねぇ、函館山は霧が出て夜景が見えないよ」

あの時も、そうだった。  

二人でハートを探しに函館山に登った夜、霧に包まれた街の灯りが、まるで水の底で揺れる光のように滲んでいた。


「覚えてる?」

電話の向こうで、彼が少し照れたように息をのむ。

別れてから、ちょうど一年。  

長い間、胸の奥がずっと痛かったけれど、今はこうして笑って話せる。


外では、路面電車が雪を踏みしめるようにゆっくり走っていく。  

その音が、今日という夜をそっと区切ってくれる。

今日は、そんな夜だね。


あとがき…

冬の函館は、霧と雪が街の輪郭をやわらかくしてくれます。

見えないものが増える代わりに、心の奥にしまっていた記憶や声が、ふっと浮かび上がることがある。

この物語の二人にとって、電話越しの短い会話は、過去と現在をつなぐ小さな灯りのようなものだったのかもしれません。

霧に隠れた夜景も、雪に吸い込まれる路面電車の音も、どれも静かで、優しくて、誰かの心の痛みをそっと包み込んでくれる。

函館という街には、時間をゆっくり溶かしてくれる不思議な力があります。

この物語の中に、その空気が少しでも息づいていたら嬉しいです。