函館ストーリー「おとな遠足、恋の予感」

作:ぴいなつ

涼しいはずの北海道の夏も、近年は30℃を超える日が珍しくなくなり、涼を求めてやってくる観光客は思いがけない暑さに参っていた。 

それなら冬は雪が少なく快適に過ごせるだろうと思いきや、積雪量も毎年のように更新しているような気がする。

そんな道民にとって、春を待ちわびる思いは例年にも増してひとしおで…。

だから、全国各地から届く「桜が咲いた!」というニュースにやきもきしながらも、函館に桜前線がやってきた。


待ちに待った、スペシャルな春。

彼とわたしは、ふたりで《おとな遠足》をする約束をした。

おとな遠足——つまりお花見のことなのだが、打ち合わせをしている時に「これって、おとな遠足だよね!」と口にすると、彼はふっと笑った。


行き先は、五稜郭公園。

星形に沿って植えられた1600本もの桜が見事に咲き競い、開花中は夜のライトアップが行われ、幻想的な夜桜も楽しめる。 

五稜郭の桜は淡いピンク色をしており、やさしく上品な雰囲気を漂わせていた。 

春のざわめく心を、そっと包み込んでくれるような桜だった。


わたしはこのところ、週末のおとな遠足の準備に心を弾ませていた。

仕事帰りに《和雑貨いろは》に寄って、曲げわっぱのお弁当箱を2つ買った。

フンパツして色違いのお箸と、お弁当を包む春らしい手ぬぐいも揃えた。

「水筒には、温かいほうじ茶がいいかな?お弁当のおかずは、何にしよう…」 なんて、お昼休みに手帳にメモしながら考えるのも楽しい時間だった。


そして、当日—— 彼は、わたしがつくったお弁当を、ひとつひとつ味わいながら食べてくれた。

メインは豚の生姜焼き。

キンピラや青のりとチーズを入れた玉子焼きも気に入ってくれたようで、ひとつひとつ食べながら感想を言ってくれて、とても嬉しかった。

そして、食べ終わったあとにわたしが選んだお弁当箱を持ち上げて見て、「センスいいなぁ〜」と褒めてくれた瞬間、思わず顔がほころんだ。

なんていうか、彼って女ゴコロがわかってる人だなぁと思う。

ん!? 女ゴコロ、わたしゴコロだよね(笑)


そのあとは、彼が用意してくれたスイーツの出番。

おとな遠足の約束をしたときに、彼が「スイーツは僕にまかせて!」と言ってくれたので、わたしはずっとワクワクしていた。

何が出てくるのかな?


「ハイ!《函館おたふく堂》の《豆乳函館しふぉん》だよ」

「うわ〜、しっとりなめらかで、ほどよい甘さ。これなら毎日食べたい!」 

「だろ?前に会社の人から差し入れにもらってさ、絶対に食べさせたいなって思ってたんだよ。ほら、豆乳とかヘルシーなの好きだろ?」 

「そうなの〜嬉しい!」

「これもあるよ、《おからボーロ》」

「う〜ん、コレもしっとりしてて、何個でも食べれるね」


そのあとは桜を眺めながら、のんびりふたりで歩いたり、写真を撮ったり…。 

自然の中にいると、それだけでパワーをもらえる気がする。

こんな、ゆったりとした休日の過ごし方が好きだ。

わたしは、家に帰ってきて、手帳におとな遠足の日記を書いた。


彼が何かを食べたあと「おいしくいただきました」と手を合わせるところが、好き。

市電を降りるとき「ありがとうございました」と運転手さんに声をかけるところも、好き。

お箸の持ち方が美しいところも、自分のことを「僕」と言うところも、好き。

鼻にかかった声、腕時計を見るときの仕草、頷きながら話を聞いてくれるところ——全部、好き。


「好き」を並べていたら、ノート見開きいっぱいになった。

いつのまに、こんなに彼のことでいっぱいになっていたのだろう。

同棲していた元彼と別れて、もう恋なんてしないと思っていた、わたしが…。

出逢ってしまったのだ! こんなに「好き」を書き連ねられるほど、好きになれる人に。


桜の花びらが、お弁当を入れたトートバッグの中にひっそりとまぎれこんでいたから、記念に手帳に貼っておいた。

キッチンで2人分のお弁当箱を洗いながら、気づけば恋の歌を口ずさんでいた。 

《わたしの心もサクラ色?》なーんて思って、ちょっと照れてしまう。

だけど、この気持ちを大切にしたいと思った。

最後のパズルのピースがカチッとはまったように、こんなにしっくりくる人には、もう出逢えないと思っている。


ベランダに出て、「う〜ん」と背伸びをしながら深呼吸した。

まだ冷たい夜気をおもいきり吸い込むと、ちょっぴり春の匂いがする。

「この先も、ずっと彼と一緒に桜を眺められますように」 

わたしは空を見上げて、お星さまに祈った。

 

END


あとがき…

春の函館は、桜とともに心もほどけていく季節。

ふたりで歩いた五稜郭の道は、きっとこれからも、わたしたちの記憶のなかで咲き続ける。