函館ストーリー「セーターの約束」

コートの下は、オフホワイトのオックスフォードシャツ一枚だった。 首元に巻いたマフラーの隙間から、冷たい風が忍び込んでくる。 それでも、今日はこの服で行こうと決めていた。 向かうのは、ベイエリア。 ライトアップされた赤レ…

函館ストーリー「静かなクリスマス」

クリスマスの夕暮れ、リビングの温度は7℃だった。 オレンジ色の照明が、ほんの少しだけ部屋をあたためているように見えた。 僕は暖房のスイッチを入れ、軽く掃除をした。 窓の外では雪が舞い始め、ライトアップされた洋館が幻想的…

函館ストーリー「夜景のかわりに」

お昼までは、あんなに澄んだ青空が広がっていたのに—— 夕方になると、大粒の雪がしんしんと降り始めた。 僕たちは、楽しみにしていた函館山からの夜景をあきらめることにした。 ホテルの窓辺に立ち、外を見下ろす。 雪に煙るベイ…

函館ストーリー「坂道の風が呼ぶ街で」

そして、私は旅に出た。 旅といっても、気ままな一人旅―― 女ひとりの、静かな旅だ。 夜明けまでに、しがらみをすべて置いてきた。 胸の奥に溜まっていた重さを、ひとつずつ手放すようにして家を出た。 行き先は、ずっと決め…

函館ストーリー「雪を待つバーで」

ホテルのバーで、彼女がぽつりとつぶやいた。  「雪が見たい…」 その声は、グラスの氷が溶ける音よりも静かで、どこか遠くを見つめていた。 昨年、女友達と訪れた冬の函館―― 白い息が夜空にほどけ、街灯の光が雪に反射して…

函館ストーリー「潮騒のメロディー」

とりあえず、海へ向かった。 函館の大森海岸は、秋の光を受けていっそう青く澄み、波間には冷たい風が白い筋を描いていた。  海沿いの遊歩道には、落ち葉が風に押されてカサリと転がっていく。 僕は、青いダウンジャケットの襟…

函館ストーリー「ローファーの午後、函館の風」

「ねぇ、逢いたいの。新しい靴をおろしたの、だから…」 「二十分くらい遅れるけど、いいかな?」 「とっても素敵な靴なの。だから、少しでも逢いたいの」 「なるべく早く行くよ」 待ち合わせの場所に着くと、彼女はじっと自…

函館ストーリー「物思う秋、函館にて」

一杯のコーヒーに、ノートと鉛筆。 香りの向こうに、石畳の坂道がぼんやりと浮かんでいた。 ふと足を止めて入った、元町の喫茶店。 訪れた秋を見つけるために、私は函館へ旅に出た。 何気なく浮かんだ言葉を、ノートに書…

函館ストーリー「天使の音色が響く坂の街で」

2年ぶりに訪れた坂の街は、あの頃とは少し違って見えた。 季節は同じ夏なのに、風の匂いも、街の色も、どこか遠く感じる。 私は、思い出を探しに来たのかもしれない。 はこだて明治館――私の好きな場所は、変わらずそこにあった。…

函館ストーリー「やきそばパンと放課後」

とても爽やかな午後だった。 青空には白い羊雲が浮かび、風はやさしく吹いていた。 僕は、彼女が待つラッキーピエロ・マリーナ末広店へと急いでいた。 彼女と出会ったのは、ちょうど一年前。 あの日も、こんな…

函館ストーリー「夏空のビアガーデン」

夏の函館には、青空がよく似合う。 今日、彼女とふたりきりのビアガーデンを開いた。 場所は、港の見える小さな屋上。 赤レンガ倉庫の向こうに、海がきらめいている。   グラスの底から立ちのぼる水泡が…

函館ストーリー「地上の銀河と夏の恋」

彼女と初めて訪れた函館の街は、潮風がとても心地よかった。 僕たちは迷うことなく、ロープウェイで函館山へと登った。   函館は夜景が有名だけれど、昼の景色にはまた違った素晴らしさがある。 よく夜景を宝石箱…

函館ストーリー「去年と違う夏」

函館の湯の川温泉にあるホテルは、海のそばに建っていた。 夜には、漁り火が美しく灯るという…   去年は、誰かといた夏だった。 同じ海辺で、同じ波の音を聞きながら、笑い合った。 でも今年は、僕ひと…

函館ストーリー「去年のサンダルを捨てて、今年の夏を歩き出す」

去年の夏、あの人がプレゼントしてくれたサンダルがある。 結局、一度しか履かないまま彼とは別れ、そして夏も終わった。 そのとき撮った写真と一緒に、箱にしまわれたままのサンダルが、今日ふと出てきた。 一年前…

函館ストーリー「あなたに背を向けた、夏の午後」

CM やドラマで知られる八幡坂は、今日も観光客で賑わっていた。 そんな場所に、彼は私を連れてきた――別れ話をするために。 私が取り乱さないように、きっと人目のあるこの坂を選んだのだ。 午後の陽射しが石畳…

函館ストーリー「潮風の午後、基坂にて」

きっと、ベイエリアからやって来るに違いない── 僕は、彼女が現れるであろう基坂を見つめていた。   潮風が、彼女の足音を運んでくる。 それは、僕が待つ元町公園まで、静かに届いた。   ある晴…

函館ストーリー「夜景の地図」

函館山から見る夜景は、あまりにも美しくて、言葉が出なかった。 私は、彼の手を思わずぎゅっと握りしめた。   ふと空を見上げる。 星は、あまりよく見えなかった。 輝く星よりも、夜景の美しさが勝っていた…

函館ストーリー「北北西の風とチェックのシャツ」

街には、北北西の風が吹いている。 元町にあるカトリック元町教会の風見鶏は、函館山を指したままだ。   やがて海風は、潮の香りとパンの焼ける匂いを運んできた。 僕は、彼女が昨日忘れていったチェックのシ…

函館ストーリー「白い夜のハート」

函館山の伝説を確かめに、僕たちはロープウェイで山頂へと向かった。 きらめく夜景に「ハート」という文字が浮かび上がるという。 その「ハート」を見つけることができたら、その恋は永遠になるそうだ。   夕…

函館ストーリー「マーガレットの咲く頃」

遅咲きの桜が散り、函館にもようやく本格的な春が訪れた。 花屋の店先には、マーガレットが目立つようになる。   「私、マーガレットが大好きなの。もし私と別れても、私の好きなマーガレットの花は、嫌いにならないでね」 昨…

函館ストーリー「青い2CVと春のパン屋」

元町に、パンを買いに出かけた。 「天然酵母パン tombolo (トンボロ)」は、大正十年に建てられた和洋折衷様式の建物で、函館市の伝統的建造物に指定されている。 元町の異国情緒に、静かに溶け込むような佇…

函館ストーリー「春の函館、届いたもの」

オープンカフェのテーブルで、アイスコーヒーを飲んだ。 一年ぶりに届いた手紙を、そっと読みながら ──   函館からのメッセージは、三枚の手紙と一枚の写真だった。 写真には、コットンキャンディーのような雲…

函館ストーリー「クロワッサンと春の窓辺」

クロワッサンが、好きだ。  焼きたてのクロワッサンに、カリカリに焼いたベーコンとエッグ。 そして、熱いコーヒー。 それが、僕の旅先での朝食だった。 ホテルの窓からは、ベイエリアが見えていた。 赤レンガ倉庫が朝日に照らさ…

函館ストーリー「坂の向こうに 春がある」

南風が、北国へと春を運んでくる。 都会の桜はすでに散り、街にはいつもの喧騒が戻っていた。 テレビのニュースが、北海道の桜の開花を伝えていた。 ――帰ろうかな、あの坂の街へ。 思わず、ひとりごとのように口にしていた。…

ぴいなつ作:函館ストーリー「おとな遠足、恋の予感」

函館ストーリー「おとな遠足、恋の予感」 作:ぴいなつ 涼しいはずの北海道の夏も、近年は30℃を超える日が珍しくなくなり、涼を求めてやってくる観光客は思いがけない暑さに参っていた。  それなら冬は雪が少なく快適に過ご…

函館ストーリー「第二ボタンの春」

函館ストーリー〈春〉 今年の春は早く、桜はゴールデンウィークを待たずに咲いた。 ある晴れた日、彼女は冬物のコートを風に干しながら、丁寧にブラッシングをかける。 お気に入りのカシミアのコートだ。 とりわけ気に入…

函館ストーリー「魚見坂、ロシアンティー、そして君」

函館ストーリー〈春〉 僕たちは魚見坂を上り、カフェテリア・モーリエに立ち寄った。  大きな窓の向こうには、早春の海が青くきらめきながら、眼下に広がっている。  ロシア料理の店で、僕たちはピロシキとロシアンティーを注文し…

函館ストーリー「春風のささやき」

函館ストーリー〈春〉 元町カトリック教会の風見鶏は、北北西を向いたまま、じっと動かずにいた。 まどろみの午後。かすかな春風が南西へと流れ、僕の耳元でそっとささやく。 「彼女が、元町茶寮で待っているよ」 僕…

函館ストーリー「スイート・レター」

函館ストーリー〈春〉 ホワイトデーの日、郵便受けに大きな封筒が届いていた。  中には、ロイズの板チョコと、一枚のメモ。 「函館の金森赤レンガ倉庫で、見つけた。」 それだけ。 彼らしい、そっけないひと言。 遠距離恋愛中…

函館ストーリー「キミは、とても…」

函館ストーリー〈春〉 今日、久しぶりに彼女と会う。 前の晩、僕は彼女の夢を見た。  春の明け方に見る夢は、正夢になるのだという。 夢の中で僕は、彼女にプロポーズする直前に目が覚めてしまった。 待ち合わせは、旧イギリス…